キャンプ記事を読みにきてくれた方へ
いつもは「火起こしがうまくいかない話」や「キャンプギア」など、キャンプのあれこれを語っていますが——今日はちょっと違います。
焚き火の前でぼーっとしていたら、ふと物語が降ってきました。
趣味で書いている小説ですが、虫刺されの心配もなく読めますので、安心してください。
キャンプ場では味わえない“空想の旅”へ、ちょっとだけ寄り道してみませんか?
読んでくださったら、テントの中でガッツポーズして喜びます(誰にも見られてないことを祈りつつ)。

俺達は前回の惨敗から多くの事を学んだ。あの日の記憶は今でも鮮明だ——気の利いた会話一つできずに、ただただ相手の笑顔が曇っていくのを見守るしかなかった、あの屈辱的な夜を。
だが、その戦いのデータこそ、今や貴重な財産となっている。つまり……経験だ。苦い経験こそが、未来の勝利への道筋を照らす松明となる。
今日は、そんな未来を勝ち抜いている精鋭達との決戦の日。俺たちは満を持して、この日を迎えた。
居酒屋の個室。薄暗い間接照明が、これから始まる戦いの緊張感を演出している。まるで歌舞伎座の舞台のような、静寂に包まれた空間。
俺たち四人は畳の上で正座して待機していた。その姿は、まさに切腹を前にした武士さながら——背筋を伸ばし、両手を膝に置き、じっと時を待つ。
含小田は眼鏡の奥で目を細め、まるで新型ロボットの設計図を頭の中で組み立てているかのような集中ぶりだった。狩勉は無意識にフランス代表のフォーメーションを指でなぞっている。イケメンは相変わらず完璧な笑顔を浮かべているが、その瞳の奥には野獣のような闘志が宿っていた。
そして俺は……深呼吸を繰り返しながら、心の中で今夜の作戦を反芻していた。前回の失敗を糧に、今度こそは……。
壁の時計が午後七時を指す。運命の時間だ。

扉がゆっくりと、まるでスローモーションのように開かれる。廊下の明かりが差し込み、逆光の中にシルエットが浮かび上がった。
そこに現れたのは——
「ワタシさくら♪」
可憐な笑顔と共に現れた彼女は、まさに春の妖精そのものだった。白いワンピースが蛍光灯の明かりに映え、歩くたびにふわりと揺れる。桜の花びらが舞い散るような、そんな錯覚すら覚える美しさ。
「陽菜です」
続いて現れたのは、ショートカットが爽やかなスポーツ系美女。健康的に日焼けした肌が眩しく輝き、きっと毎日ジョギングでもしているのだろう——そんな清々しい空気を纏っている。
「七海!」
元気いっぱいの声と共に手をひらひら振る彼女。ツインテールが子犬の尻尾のように可愛らしく揺れている。その笑顔は太陽のように温かく、見ているだけで心が軽やかになる。
俺たち四人の目は輝いていた。今度こそ、今度こそは……!
そして——最後に現れた影。
「薄切りビク子よぉん♡」
その瞬間、時が止まった。

明らかに最後の女性……女性と言えるだろうか……顎には立派な不精髭が誇らしげに主張し、足のすね毛はまるで毛ガニの脚のように堂々と主張している。
だが、着ているのは可愛らしいピンクのフリルワンピース。頭には金髪のカールウィッグ。そのギャップたるや、まるでプロレスラーがバレリーナの格好をしているかのよう。
俺たち四人の魂は、一瞬にして肉体から離脱した。
含小田の箸が宙に浮いたまま硬直している。まるでフリーズしたロボットのように。狩勉の口は「あ」の字で完全に固まり、唾液が垂れそうになっている。イケメンは完璧な笑顔を保ったまま、額に一筋……いや、三筋の冷や汗が流れ落ちていく。
そして俺は……現実逃避のため、天井の木目を一本一本丁寧に数え始めていた。一本、二本、三本……もはや逃避行動すらままならない。
「あらやだわぁ♡ 髭を剃るの忘れちゃったわぁ♡」
ビク子はおもむろに電気カミソリを取り出し、手鏡を持ちながら髭を剃り始めた。その手つきは慣れたもので、まるで毎朝の日課のよう。
ビイイイイイインッ
電気カミソリの無機質な音が、畳の香りと醤油の匂いが漂う和室を支配する。その音は、俺たちの心臓の鼓動をかき消すほど大きく響いた。
この人は本当に女性だろうか……いや……どう見ても間違いなく男性だ……。体毛の濃さ、骨格、声の低さ、全てが雄弁に物語っている。
しかし……ここは合コンの場。なぜ……なぜここに……。
謎が謎を呼び、疑問が疑問を生む。俺の理性は限界に近づいていた。思わず口を開きそうになった瞬間——
「あの……失礼ですが、だんせ……」
言葉が出かかった瞬間、イケメンがグイッと俺の腕を掴み、顔をそっと横に振った。その目は真剣そのもので、「聞いてはいけない」という強いメッセージを発していた。
そうだ……合コンというのは、高度な社交の場。大人の世界の複雑な事情というものがある。ゆえに分かっていることを敢えて聞こうとするのは、武士道に反する無粋な行為というもの。
確かにそうだ。俺は深く頷いた。
四人の視線が絡み合い、無言の議論が交わされる。そして全員一致で決定した——
薄切りビク子は心は女性だ、と。
この結論に至るまで、実に3.7秒の沈黙があった。

「さぁ注文しちゃうわよぉお♡」
ビク子の声が響いた瞬間、店員が現れた。まるで召喚されたかのようなタイミング。
「エビの御造りとエビの唐揚げにエビチリ、あ! 後エビアンもお願い♡」
ビク子は迷いなく注文した。その決断力たるや、まるで戦場の司令官のよう。
どれだけエビが好きなのだろうか……そして最後のエビアンは確実に水だろう……。しかもフランスのミネラルウォーター。
試合開始直後から、俺たちは完全に飲み込まれていた。主導権など最初から存在しなかった。
よくサッカーでごくまれに1人の天才がフィールドを支配すると言われている。ジダンしかり、メッシしかり、ビク子しかり……。
ビク子はまさにその類の人材だ。
思うように会話をコントロールできない。それはやはりビク子の圧倒的な存在感によるものだった。
ビク子は全てのボールに食らいつく。まるで、血に飢えた猛獣——いや、エビに飢えた猛獣のように。どんな話題も、どんな角度からの会話も、全て彼女(?)の世界に引き込まれてしまう。
「今日暖かいですね〜」とイケメンが微笑みながら聞く。
「そうねぇ♡ エビも暖かい方が美味しいのよぉ♡ 特に天然の車エビなんて、体温くらいの温度で食べるのが一番♡」
「お仕事は何を?」と狩勉が眼鏡を直しながら尋ねる。
「あらぁ♡ アタシ、エビの養殖してるのよぉ♡ 嘘♡ でもエビ大好き♡ 毎日エビのことばかり考えてるの♡」
「趣味とかありますか?」と含小田が勇気を振り絞って聞く。
「エビを食べることかしらぁ♡ あとエビと話すこと♡ エビって実はとっても賢いのよぉ♡」
どんな角度のボールも全てビク子一人で完璧に受け止められてしまう。他の女性陣はただ苦笑いを浮かべるばかり。まるで試合に出場しているのにボールに触れることすらできない控え選手のよう。
俺たちも必死に割り込もうとするが、ビク子の会話支配力は圧倒的だった。

とうとう痺れをきらした含小田が、禁断の一手を打った。
「ビク子さん! 全部の会話をエビで返すのやめてもらえませんか?」
その瞬間、個室の空気が氷点下まで急降下した。他の女性陣がハッとして身を強張らせる。さくらの可憐な笑顔が凍りつき、陽菜は息を呑み、七海はツインテールを震わせた。
狩勉は頭を抱えた。イケメンは笑顔を保ったまま、しかし冷や汗の量が急激に増加している。
そして俺は……天井の木目を数えることすら忘れて、ただただ事態の推移を見守ることしかできなかった。
「やだぁ♡ アタシに会話に入るなって事? ヒドイ! エビ投げるわよ♡」
ビク子の声のトーンが、明らかに低く——いや、本来の男性の声に近づいていく。その威圧感は、まるでプロレスラーがリングに上がる時のそれだった。
そのとき、狩勉が突然立ち上がって叫んだ。
「出た———! これぞまさにフランス! 理想の人種融合を実現した21世紀のサッカー! 多様性こそがフランスの真骨頂! ヴィヴ・ラ・フランス!」
全員が狩勉を見る。その目は「今それを言うか?」という呆れと困惑に満ちていた。
含小田は狩勉を完全に無視して反論を続ける。
「それに注文も全部エビだし! 会話も全部エビ! なんなんですか一体!」
「ビク子が悪いっていうの? やだぁ♡ 冗談エビだけにしといて♡ それに何よ? アンタこそロボットアニメの話しかしないじゃない! さっきからずっとサイド7がどうのこうの言ってるわよ!」
図星を突かれて含小田の顔が真っ赤になった。確かに彼の頭の中は常にモビルスーツのことでいっぱいなのだ。
そしてついに——含小田は禁句を口にしてしまう。
「そもそも男ですよね? なんでここにいるんですか?」

「オトコ? そう言われちゃ聞き捨てならないわ!」
その瞬間、ビク子の全てが変わった。
カツラを地面にバンッとたたきつける。現れたのは、見事な坊主頭。そして腕をまくり上げると、たくましい筋肉が躍動する。
「文句あるなら……かかってこいやああああ!」
完全に男性の声。しかも相当にドスが利いている。おそらく格闘技経験もあるだろう——そんな迫力が全身から溢れ出していた。
含小田も負けじと立ち上がる。眼鏡の奥の目が闘志に燃えていた。
「やってやろうじゃないか! 僕だってガンプラを素手で組み立てる男だ!」
意味不明な宣戦布告と共に、二人は畳の上で取っ組み合いの戦いを始めた。
個室が戦場と化した。ビク子と含小田が転がり回り、
イケメンは笑顔を保ったまま「みなさん、落ち着いて」と仲裁に入ろうとするが、その声は震えていた。
女性陣は完全にドン引き。さくらは可憐な顔を青ざめさせ、陽菜は健康的な肌を青白くし、七海はツインテールを震わせながら後ずさりしている。
「やめてください! お願いします!」
俺は必死に二人を引き離そうとしたが、ビク子の筋力は想像以上だった。まるで本物のプロレスラーのような力強さ。
なんとか皆で止めに入り、息を切らしながらその場は収まった。しかし、もはや手遅れだった。
「もういい! ビク子帰る! お家でかっぱエビせんでも食ってやるわ!」
ビク子はカツラを拾い上げ、乱れたピンクのワンピースを直しながら立ち去った。その後ろ姿は、なぜか少し寂しそうに見えた。
女性陣も怒りをあらわにして席を立つ。
「最低……」さくらの可憐な声が、今度は氷のように冷たかった。
「二度と会いたくない」陽菜の健康的な笑顔は跡形もなく消えていた。
「もう知らない!」七海のツインテールが怒りに震えながら、扉の向こうに消えていった。
————試合終了————
残された四人の男たち。居酒屋の個室には、散らばったエビの殻とエビアンのボトルだけが転がっている。畳には戦いの爪痕が残り、空気は死海より重かった。
前回に引き続き、まだ一勝もしていない。俺たちの戦績は0勝4敗。完全なる敗北者だった。
クッ……このままじゃ……俺たちは永遠に報われない……。
ふと、ジネディーヌ・ジダンの名言が頭をよぎった。
『いつか皆さんもジダンを忘れる日が来るでしょう。その時こそ、また素晴らしいサッカーの歴史が始まる』
俺は……俺達は……完膚なきまでに負けたんだ。
自分の不甲斐なさに苛立ちを感じ、思わず畳を殴りつけた。ドンッという重い音と共に、虚しさと悔しさが津波のようにこみ上げてきた。右手がジンジンと痛む。でも心の痛みの方がはるかに上だった。
隣にいた含小田は、右手の拳を握りしめたまま小刻みに震えていた。その姿を見て、俺の胸も締め付けられた。アニメを愛する純粋な男の、純粋な苦しみがそこにあった。

ジダンは『ジダンを忘れる日が来たら、新しい歴史が始まる』と言っていた。そうだ……俺達も……ビク子を忘れる日が来たら、それは新しい歴史の始まりかもしれない。
いや、忘れてはいけない。この経験こそが、俺たちを強くする糧となるのだ。
今は皆を元気づけなければ……リーダーとして、俺がやらなければならないことがある。
「俺達は頑張ったんだ……皆、誇っていい!」
声を振り絞って言った。その言葉に込めた想いは、決して嘘ではなかった。
「正一……お前ってやつは……」
含小田がそう呟いた時、その目頭が潤んでいるのが見えた。普段はアニメのことしか頭にない男が、今は純粋な感情を露わにしている。
狩勉も下を向いて肩を震わせていた。
イケメンも完璧な笑顔を崩し、初めて本当の表情を見せていた。その顔には、悔しさと、そして仲間への愛情が刻まれていた。
そして、俺たちは円陣を組んだ。畳の上で、四人の男が肩を寄せ合う。
「次は……次は必ず……」
「ああ、リベンジだ」
夕日が居酒屋の窓から差し込んでいた。オレンジ色の光が俺たちの顔を照らし、その光の中で新たな決意が生まれていく。
俺たちの戦いは、まだ終わらない。
薄切りビク子との遭遇。それは確かに予想外の出来事だった。だが、この経験もまた俺たちの成長の糧となるはずだ。
次こそは……次こそは必ず……。
居酒屋の個室に、四人の男の誓いが響いた。そして夕日は、敗北者たちの新たなる出発を静かに見守っていた。
続く……
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