
大蛇のように蜿蜒と曲がりくねった山道を、私の車は静かに走っていた。運転席の窓からは深緑の木立が迫り、助手席側には悠々と流れる大井川が陽光を弾いて輝いている。
今日は患者である飯田さんとのソロキャンプの日だった。施術中の何気ない雑談から始まった話が、いつの間にか意気投合へと発展し、気がつけばこうして二人で山へ向かっている。
飯田さんとの出会いは、彼の母親が私の接骨院に通い始めたことがきっかけだった。ある日、息子が腰を痛めて歩けないのだと、半身を引きずった彼を連れてきたのである。一度の施術でスムーズに歩けるようになると、それからというもの、まるで私を救世主のように慕ってくれるようになった。
お母さんもまた、交通事故で傷めた膝の痛みに長らく苦しんでいた。左足を引きずりながらも、息子への愛情深さから毎回付き添ってくださった。半年ほどの治療で、彼女も軽やかに歩けるようになったのだが——。
去年の秋、突然の敗血症で彼女はこの世を去ってしまった。
もう一年が経つのか。時の流れは残酷なほどに早い。
葬儀の日、飯田さんは一滴の涙も見せることなく、参列者への挨拶を完璧にこなしていた。その凛とした姿が、今でも目に焼きついている。

一台分の幅しかない心許ない橋を慎重に渡り、ようやく目的地のキャンプ場に到着した。
管理人の親切な説明を聞きながら、それぞれが少し離れた場所にテントを設営する。飯田さんは手慣れた様子で、黙々と作業を進めていた。


夕方になると、予報を裏切るように雨粒がぽつりと頬を打った。山の天気は気まぐれで、人間の都合など意に介さない。
夕食は家で下ごしらえしておいたカレーを、メスティンで温め直すだけの簡単なものだった。ご飯は少し焦がしてしまったが、その香ばしいおこげがカレーの辛さと絶妙に調和して、思いがけない美味しさを生み出していた。

食事を終える頃には雨も上がっていた。まだ陽は完全には沈んでおらず、せっかくの機会だからと焚き火を始めることにした。
パチパチと薪の爆ぜる音が夕闇に響く中、飯田さんが椅子を持参して隣に腰を下ろした。

最初は天気のことや仕事のことなど、取り留めのない話をしていたが、やがて自然と話題は彼の母親のことへと向かった。
「もうちょっと生きててくれれば……」
飯田さんの悔しそうな呟きは、夜風にさらわれそうなほど小さかった。揺らめく炎に照らされた彼の横顔は、普段の明るい表情とは違う、深い寂しさを湛えていた。

大切な人との別れは、誰にでも必ず訪れる。
それが永遠の別れなのか、一時的な距離なのか、形は人それぞれ異なるけれど、避けて通ることはできない運命だ。そして皮肉なことに、本当に大切だった存在というものは、失って初めてその重さに気づくものなのである。
なぜもっと優しい言葉をかけてやれなかったのだろう。
なぜもっと気遣ってやれなかったのだろう。
なぜもっと時間を作ってやれなかったのだろう——。
焚き火を見つめているだけで、飯田さんの気持ちが痛いほど伝わってくる。。炎は絶え間なく形を変えながら燃え続けるが、答えはどこにも見つからない。
きっと人は、そういう後悔を胸に秘めたまま生きていくものなのだろう。
重荷として背負うのではなく、その人への”愛の証”として。

翌朝、テントから顔を出した飯田さんは、まるで別人のように清々しい表情をしていた。
まだ朝霧の残る山間で淹れたコーヒーは格別に美味しく、鳥たちのさえずりが心地よい目覚めの音楽となった。
このささやかなキャンプが、彼にとって何かしらの転機となってくれたなら、それほど嬉しいことはない。
私たちは無言で焚き火の跡を片付けると、それぞれの日常へと帰っていった。大井川は今日も変わらず、静かに流れ続けている。
彼の、母を思う気持ちは、あの人に届いたのだろうか……いや、きっと届いたのだろう。
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