キャンプ体験&コツ ストーリー&小説

小説風:失敗談 980円の寝袋

takibitoshippo

焚き火と犬と、ちょっと不便なアウトドアが好き。 最近はキャンプギアのレビューだけじゃなく、小説も書いてます。 自然の中で感じたことや、犬との暮らしの中で生まれた気づきを物語に。 実用と創作、どちらも大切にしながら、ゆるっと発信しています。

待ちに待った日がついにやってきた。彼女との初めてのキャンプ。心臓が早鐘を打つように鳴っている。車のエンジンをかけながら、今日という日を何度頭の中でシミュレーションしただろう。完璧な一日にしたい。彼女に格好いいところを見せたい。そんな想いが胸の奥で渦巻いている。

「しっぽ、準備はいいか?」

車で彼女の家に迎えに行き彼女が荷物を持って現れた時、その手にあったのはロゴスの立派な寝袋だった。ショートカットの髪が朝日に輝いて、元バレー部らしいきびきびとした動作で荷物を車に積み込む姿に、改めて惚れ直してしまう。

「今日はよろしくお願いします」

彼女の笑顔に、俺の緊張も少しほぐれた。いや、むしろ緊張が高揚感に変わったのかもしれない。

浜松の奥地へ向かう道中、助手席でしっぽが彼女の膝の上にちょこんと座っている光景が、なんとも微笑ましい。賢いメス犬は、一番居心地の良い場所を知っているのだ。俺も同じ気持ちだよ、しっぽ。彼女の隣が一番落ち着く。

気分の上がる音楽を流しながら、5月のGWの陽射しが車内に差し込む。半袖半ズボンでも汗ばむほどの陽気に、今日は完璧なキャンプ日和だと確信していた。この時の俺は、まだ夜の恐怖を知らない。

キャンプ場に着いて、二人でテントを設営する。彼女の手際の良さに感心しながら、俺も必死についていく。格好つけたいのに、実は彼女の方が要領が良くて、内心焦りながらも彼女のフォローに甘えてしまう。情けないけれど、一緒に作業をする時間が何より楽しかった。

焚き火を囲んで食べるジビエ料理は格別だった。しっぽも得意の死んだふりやホフク前進で彼女を楽しませている。この瞬間が永遠に続けばいいのに、そんなことを思いながら彼女の笑顔を眺めていた。

日が沈むと、空気が一変した。昼間の暖かさが嘘のように、冷たい風が肌を刺す。でも彼女との会話に夢中で、寒さなんて気にならない。いや、気にしないようにしていたのかもしれない。星空の下で語り合う時間は、人生で最も美しい時間の一つだった。

そして寝袋に入る時間がきた。

彼女のロゴスの寝袋を見て、俺の980円の寝袋との格差に内心冷や汗をかく。でもここが男の見せ所だ。アウターを脱いで彼女に差し出す。

「夜冷え込むからこれを中に入れなよ」

格好つけて言ったこの一言が、まさか俺の生死を分ける判断になるとは思いもしなかった。

寝袋に潜り込んだ瞬間、愕然とした。寒い。いや、寒いなんてレベルじゃない。氷の箱に閉じ込められたような冷たさが体を包む。5月のGWがこんなに寒いなんて、完全に舐めていた。

最初は我慢できると思っていた。男として、彼女の前で弱音を吐くわけにはいかない。でも時間が経つにつれ、寒さは容赦なく俺の体温を奪っていく。

頼みの綱だったしっぽまで、途中で彼女の暖かい寝袋に避難していった。裏切り者め、と思いつつも、賢い判断だと認めざるを得ない。動物の本能は正しいのだ。

夜中の2時、3時と時間が過ぎても、一睡もできない。まるで冷蔵庫にいるみたいだ。体が小刻みに震えて、歯がガチガチと鳴る音が夜の静寂に響く。隣では彼女が穏やかな寝息を立てている。起こすわけにはいかない。俺の見栄とプライドが、まだ助けを求めることを拒んでいた。

朝4時。

もう限界だった。顎の震えは止まらず、指先の感覚もなくなってきた。体温がどんどん下がっていくのがわかる。これは本当にヤバい。低体温症の一歩手前、いや、もう足を踏み入れているのかもしれない。

「俺……死ぬのかな……」

その瞬間、頭の中で様々なシナリオが駆け巡った。朝起きて横で彼氏が冷たくなっていたら、彼女はどう思うだろう。トラウマになってしまうだろうか。それとも、あと少し耐えれば夜が明ける。たった2時間程度じゃないか。男だったら耐えて見せろ。なぁに、後2時間くらい……後2時間…………この2時間が永遠のように感じられる。

意識が朦朧としてきた。これはマズい。本当に死んでしまう。

プライドなんてどうでもいい。格好なんてつけている場合じゃない。生きることの方が大切だ。

震える手で彼女を起こした。

「あのー、大変申し訳ないんですけど……」

声も震えていた。情けない。でも生きるためだ。

「上着、返してもらえますか? 多分だけど……このままだと死んでしまいます」

彼女は眠い目をこすりながらも、すぐに上着を返してくれた。文句一つ言わずに。その優しさが、寒さで麻痺した心にじんわりと染み渡った。

でも結局、上着を着ても寒さは和らがなかった。980円の寝袋の限界だった。それでも、さっきまでの生死の境をさまようような感覚からは脱することができた。

長い、長い夜がついに終わり、朝日が昇った時、俺は生きていた。奇跡的に一命を取り留めたのだ。

後で彼女に聞いたら、「全然寒くなかったけど、上着を返したら少し寒いかなって感じるくらいだった」と言われた。寝袋の性能差を、身をもって体験した夜だった。

キャンプ場を後にしながら、心に固く誓った。寝袋は、ちゃんとしたものを買おう。命には代えられない。

でも不思議なことに、あの地獄のような夜も含めて、彼女との初キャンプは忘れられない思い出となった。格好つけようとして失敗したけれど、彼女の優しさに触れることができた。しっぽの賢さにも感心した。

人生で最も寒かった夜。でも、人生で最も温かい思い出の一つでもある。そんな矛盾した感情を抱きながら、俺たちは家路についた。

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